長福寺は約1300年前に行基菩薩によって開かれたと伝わる古刹として知られるが、昭和初期には住職不在で他寺住職が兼務する荒れ寺だったという。
昭和21年に先代が東京から新住職として入寺してから、日本の戦後復興に歩調を合わせるように長福寺も復興を遂げた。
しかし、続いておとずれたバブル、その崩壊と、寺を取り巻く社会は目まぐるしく変化し、気が付けば、専業農家が激減、地域の伝統の養蚕も廃れ、地域社会の生活様式が大きく様変わりしていた。
「平成になってから山が荒れ始めました。みんな農業をやらなくなった。わずかな作物の栽培は化学肥料を使う。落ち葉掻(か)きに山に入る人がいなくなったのです」。
長福寺には"寺山"がある。本堂の裏手、なだらかな斜面に造成された墓地の後ろに広がっている。総面積は約7,500坪。いわゆる"里山"で、樹種は主にナラ、クヌギなどの灌木で、落ち葉と共に燃料や肥料に利用されてきた。手入れの行き届いた里山は美しく、訪れる人を癒してきたのである。
しかし、手入れされずに放置された山は、猛烈な勢いで篠竹が繁殖して木々の間を埋め尽くし、密林と化した。
「山が一面のジャングルのようになったんです。それを前にして心を痛めていたのですが、荒れた山を元に戻すには大変な人手や手間がかかりますから、なかなか手が付けられなかったのです。そのうち寺の総代や世話人の間から、この状態を憂う声が聞かれるようになりました」 |