さて、今日の食事は何でしたか。ご飯、パン、お肉、魚、野菜…。中には精進料理やベジタリアンという方もいるかもしれませんが、野菜や植物も生命があり、その生命をそれぞれの一隅で立派に生きていたに違いありません。
厳しい見方をすれば、いくら人間が共生と声を上げて主張しても、生命を大切にと訴えても、私たちは他の生命を奪わずには生きていけないのも明白な事実です。またこのことは大自然の営みにおいて、生きもの同士の連鎖があるように、他のどんな生きものも同様です。
一方、他の生命を奪うという点に関しては、結局は人間の身勝手であり、エゴです。そもそも常日頃からどんな生きものの生命も、できるだけ失わないように努めなければなりません。そうは言っても、例えば腕にとまった蚊をたたかなければかゆくなってしまいます。食事を取らないと飢え死にしてしまいます。また樹木を伐採して家を建てたり、家具を調製したり、緑の山野にブルドーザーを入れて宅地開発を行ったりしていかなければ人間の住むところが足りません。人間が自然を犠牲にしなければ生きていけないという宿命と現実は心に留めるべき痛みと言えるでしょう。
だからこそ、いろいろな生命の恵みによって生かされている、そのおかげをいただいているという感謝の心を持ち、そのような人間らしい反省の中から、私たちは分相応ということを意識しなければならないということです。そのためには、まずもって自分の生命の大切さを知らねばなりませんし、そうでないと同時に他の生命も尊重できないでしょう。
人生は一度きりで、自分の生命は自分に与えられた時間とも言えます。その一人ひとりの生命は誰でも等しく限りがあることは、当たり前のことです。限りある生命であるからこそ尊厳があり、自他の生命を大切にしなければなりません。そう考えますと、使命というように自分のため、人のため、社会のために何らかの命(めい)を与えられて生きていることを体し、今の自分の役割(一隅)において毎日を生き生きと暮らないともったいないと思えるのではないでしょうか。 |