そのためには、まずもって一人ひとりが人間に生まれたことに感謝し、私たちに具わる仏性(ぶっしょう・仏としての性質)を引き出し、それを道心(どうしん・道を修めようとする心)によって我々の日常生活において磨き、発揮することが運動の基本です。「一隅を照らす」という包容力と行動力を併せ持つ、すばらしいお言葉を体する時、「一隅を照らす」という言葉の奥に深く大きな宗教的意味を感じ、この運動に従事する人たちの行為は信仰心に根ざしたものといえるでしょう。
伝教大師の『願文』(がんもん)(※注)に、「発(おこ)しがたくして忘れ易きは、これ善心なり」というお言葉があります。生まれたばかりの赤ちゃんは無邪気そのものですが、大人になるにしたがって知識や智恵を身につけると同時に、妬みや怒りや愚痴も起こり、善い心と悪い心をいろいろと持ち合わせるようになります。 仏教の教えの中で『維摩経』などに、悪心を防ぎ、善心の持ち方として「四無量心」が説かれます。「広大で計り知れない4つの心」のなので四無量心といいます。
いかがですか。まずはこの4つの心を大切にしましょう。 そして次は、これらの心の持ち方を具体的に実行する番です。仏教には人々を導き、救う行いとして4つあると説かれています。
1.布施(施しを与えること) 2.愛語(慈愛の言葉) 3.利行(他人のためになる行為) 4.同事(他人と協力すること)
さらに、山田猊下は「家庭においても祈りが大切である」と説かれ、何事にも畏敬(いけい)の念を持ちつつ、家庭生活から皆それぞれの宗教心の培養を望んでおられました。祈りのある生活には反省も生まれます。山田猊下の主張は、祈りを離れては、宗教はないということです。
それでは、一隅を照らす運動の精神を家庭でどのように生かせばいいのでしょうか。それは「”己を忘れて他を利する”という無我の精神による暮らし」と、「感謝のある生活」に尽きるということです。家庭も一つの社会と考える時、感謝のある生活とするための方法として、山田猊下がすすめる「家庭宗教」について、次の4つを心がけましょう。
1.仏壇や神棚に手を合わす 2.「おはようございます」という挨拶をする 3.食事の際に「いただきます」と感謝する 4.すべてのことに「ありがとう」と言える
私たちは、ご先祖様、両親から生命が受け継がれて、今の自分があります。決して一人で生きてきたわけではなく、多くのお陰をいただきながら、現在の中に過去と未来との流れにおいて生きているのです。したがって「家庭宗教」というのは、永遠の過去・現在・永遠の未来というつながりを根底に置きながら、感謝と思いやりの心を醸成するために、日常生活の中に感謝・懺悔(反省)・祈りの三つを実行することです。その目的は、各々の宗教的情操を育み、本来具わっている仏性に目覚めるために他なりません。
なお、山田恵諦猊下の講演録である『一隅を照らす6つの約束』も参考になさってください。
人は誰でも、悪は止め、善を行い、社会のためになりたいと願います。戒は「すべての悪を取り除き、多くの善を努め行い、人のため社会のために尽くす」という仏様の心そのものです。御仏の力をいただいて、お授戒した瞬間から、決して失われることなく、自ずとこの3つのことを実行しようとする心が湧き起こります。つまり、利他の誓願に裏付けられた円頓戒を受戒することが一隅を照らす精神を現代社会に生かす原動力となるというわけです。
一隅を照らす運動では、それぞれの心にある「仏性の開発」ということを柱に据えています。仏様と深く有難い因縁を結ぶというお授戒の功徳によって、仏性の種から芽を開くきっかけとなり、そして信仰心の培養につながるのです。